廻る罪

 



今日もまた俺を蝕む不協和音が。
薄い壁を越えて、鼓膜へと突き刺さる。
そうしてその破片は俺の心を深く、深く抉る――。

まるで挑発するかのように鍵は開いていた。

部屋の奥で床に横たわる見知った人物――憐香は、裸体であった。
まだ冷える時期にも関わらず、身体に掛けられているのは薄い毛布一枚。

憐香の顔色は青ざめており、朱華は唇を噛み締める。
こんな時に、嗚呼。
彼の体を温める事が出来ない、自分を呪った。
自分に出来る事は、触れる事だけ。
そしてその身体を掻き抱き、その心を狂わせるだけ。
それが、この少年の『持ち主』との、『約束』。


――憐香は僕の物だよ。

――そんな事ぐらい分かってるよね。


「……憐香」

指に鼠色の髪を絡ませる。
それらはさら、と滑り落ちていった。

永遠に掴む事が出来ない、互いの心を象徴するかの様に。


「『アイシテル』」

――本当は、お前を救いたいんだ。

告げる事は、出来ない思い。
絶対に。

「……愛してる、憐香」

もう一度、柔らかな髪に掌を滑らせる。
と、憐香が小さく身じろいだ。

「っ――」

起こしたかと思い、朱華は慌てて手を引っ込めた。
が、瞼が持ち上げられる事はなかった。
それをいい事に、朱華は再び髪を梳き、そして。

唇を触れ合わせる、ほんの少しだけ。

ぴくん、と身体が反応した。
そして掠れた声で名前を呼んだ。


「蘇芳――?」

「……ッ!!」

自分ではない、其の名は誰でもない自分の兄のもの。
そして、彼は憐香の――。


「なにしてるの?」

ゆっくりとした、穏やかな声音。
朱華は驚愕し、とっさに後ろを振り返った。
そこに立っているのは兄である、蘇芳。

ほぼ同じ体格、顔立ちの彼はしかし、朱華とは全く似て非なるものだった。
一見冷徹そうに見え、言葉少なく少し突き放したような口調の朱華。
蘇芳は、常にのんびりとした穏やかな口調で話す。
その笑顔が崩れる時は滅多にない。
今も。
ただ、目は全く笑っていなかった。

自分の『所有物』に勝手に、口付けられたのだから。

「なにしてたの、朱華。僕の憐香に」

ゆっくりと、歩み寄り。
朱華の首を何の躊躇いもなく、掴んだ。

「うッ――!」

「余計な事しないでよ。お前なんかに触れられると、穢れるでしょッ!」

ぎりぎりと締め上げてくる手加減のない力が、彼の怒りを表している。
朱華は今までの経験からして、抵抗が無駄だと知っている為、そのまま動かずに、耐えた。

「身体だけって言ったくせに! 憐香に余計な感情抱いてるんじゃない!」

更に強く締め上げ、そのまま勢いをつけて床へと頭から叩き付けた。
小さく呻き、朱華の身体は倒れた。
その身体をこの騒ぎで覚醒したらしい憐香が庇った。

「止めてよ蘇芳……朱華に痛い事しないで」

掠れてほとんど音になっていない震えた声で、憐香が言う。
そんな姿を見て、ほんの一瞬だけ、蘇芳の表情がまるで醜い物でも見るかのように、歪んだ。
直ぐに、口元だけの笑みに戻ったが。

「……元はと言えば、誰でも彼でも誘うお前が悪いんだ。来い――躾直してげる」

笑顔で、穏やかな声音で。
紡がれた宣告は、憐香の心を深く抉るものだった。

蘇芳は憐香の髪を掴んで無理矢理立ち上がらせると、腕を引っ張り部屋を出て行った。

ただ最後に、憐香は何とか頭だけ持ち上げる事が出来た朱華と目が合った。

縋る様な憐香の瞳に、朱華は自分は何も出来ないのだと、瞼を下ろした。

「ごめん――な」

――本当は、お前を救いたいんだ。

だけど。
だけど俺は蘇芳から、離れられない。
離れては、いけないんだ――。


それが『蘇芳』への唯一の贖罪の方法。
だがそれは、『憐香』への罪を重ねてくだけだと、知っていながら。

それでも。

――俺は、お前を愛してる。

 

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紅色シリーズ第二弾です。前作『紅の涙』とリンクしています。
一応兄、蘇芳を出してみましたけど危ないヤツだね全く。
誤解のないように補足しますが、監禁してるワケじゃないし推奨もしてないですよ。
一応この兄弟の因果設定はあるんですが、それはまた後日?
有難う御座いました。(2005/06/25)

 

 

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